NHK総合 そのとき歴史は動いた 細菌学者 北里柴三郎「伝染病から日本を守れ」のレポ


北里家では、当時5歳の北里が2人の弟を看病したが、その甲斐もなく亡くなった。 
それから月日は流れて、明治16年 北里は東大の医学部を卒業し研究者の道へ進む。
これらが発端となった事件 生きたまま殺された 毒殺
ベルリンへ留学し、コッフォ博士の元へ赴く。
北里はコレラ菌の全容解明のため、研究に取り組む。 27種類の薬品を使って何万通りもある組み合わせで、薬品と菌の反応を分析した。 
この研究で、ひとつの事実を導いた。
コレラ菌は一定濃度以上の酸で死滅する。 
内務省から他の留学生とバトンタッチの通達があったが、・・・コッフォ博士が「彼を研究室に残して欲しい・・」
抗体を投与して治療する方法を。。。。 


明治25年 日本に帰国し血清療法の研究を始める。 しかし、認められず。
北里は自分の娘に血清を投与する。娘は全快し、血清の治療の効果を知る。 
この血清療法が認められ、人々に血清を投与し、70パーの致死率を30パーにまで減らす。  しかし、動物から投与する血清の量が足りず・・病気の元を断ち切らないと・・・
そこで、感染ルートである「水」。上下水道の整備と外国船の検疫を徹底するべきだと国に主張するが、認められず。。。


明治27年5月 中国で感染病ペストが大流行する。致死率90% やがてペストの流行は終わる。
日本にもぺスト襲来が迫る。 そこで北里は感染地帯に乗り込む。だが、北里は、ペストについてはノーマークであった。(中国での感染流行の後、ペストの流行は沈下たため。)
国を挙げての対策を!!!!! 


明治27年6月 北里は中国へ赴き、悲惨な現状を目の当たりにする。衛生面が最悪の中で、患者の遺体の解剖を密かに始める。しかし、恐れていた事態が発生した。 研究者のうち3人がペストに感染する。その内1人が命を落とす。

北里は、動物実験によりペスト菌発見した。これは、何時、日本に侵入してもおかしくない。。。
そして、日本に帰国し、ペスト対策を考える。しかし、ペスト対策に血清の開発、感染ルートを断ち切る対策は徹底されず。
そして、伝染病予防の法律づくり。感染者の隔離、上下水道の整備、検疫など今まで国に訴えてきたことを盛り込む。


明治30年5月1日 伝染病予防法施行 翌々、32年11月8日 日本にペストが上陸する。
伝染病予防法を参考にし、ペスト感染拡大の阻止に成功する。そして、ねずみ(感染ルート)をどう断ち切るか。。。一家に猫を一匹飼うことを義務づけ、上下水道も着々と整備されてきて感染を断ち切った。

伝染病予防法の後・・・北里研究所を設立する。生徒育成に励む。あおの野口英雄らを輩出する。
昭和6年 北里柴三郎、生涯を閉じる。 享年78.


その後、彼の生き様は現代の日本に根付き、日本の先端医療をリードしている。 

北里の書に「終始一貫」これは、北里の座右の銘である。



こんな感じの流れでしたよ〜♪高校の頃、生物で血清療法とワクチン治療法のことについて学んだなぁ〜。蛇にかまれた場合とかね!!

ワクチンと血清の違い←同じように思えるけど違うんです!!ワクチンと血清について分かりやすく解説してあるサイトです♪

これにてーーーーーー終わりッッ!!!!